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北方町生涯学習センターきらり

北方町生涯学習センターきらりから実施報告が届きました。

北方町生涯学習センターきらり チラシ
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実施概要

主催:北方町生涯学習センターきらり
開催日:平成29年10月12日(木)~13日(金)、入場者数239名
上映作品:あすなろ物語、次郎物語、風の又三郎、少年時代

担当者の感想・要望

『あすなろ物語』1955年

 原作は、井上靖の同名小説。原作に刺激を受けた黒澤明監督が脚本を書き、長く助監督を務めた堀川弘通の監督デビュー記念に贈りました。井上靖の半自伝的な小説ですが、小学生と中学生時代の原作に、高校生時代を新たに付け加えて、3部作のオムニバス映画にしたのは脚本の独創性が光ります。音楽は早坂文雄。クラッシック音楽をバックに風格のある作品になりました。
 堀川弘通監督は、幅広い作風が魅力です。小生の好きなベスト3は、山下清の半生を活写した『裸の大将』58年、松本清張ミステリーの魅力を世に知らしめた『黒い画集・あるサラリーマンの証言』60年と共に、この『あすなろ物語』です。
 主人公・鮎太は、小学生を久保賢(久保明の弟で、後の山内賢)、中学生を鹿島信哉、高校生を久保明が演じています。賢くておとなしいが、芯のしっかりした鮎太をそれぞれが好演していますが、久保賢が一番似合っているように思います。物語としては、スポーツにも才能を発揮しなければいけないと促されて、鉄棒で大車輪を練習する鹿島信哉が好演でした。
 相手役のマドンナは、それぞれが美しい女性でした。大学生に一途な想いをかける冴子を岡田茉莉子。感情的にまくしたてる科白は聞きにくかったですが…。鮎太に自分の決意を囁く場面は圧巻。要領よく男勝りの仕切り屋雪枝を根岸明美。いじめられる鮎太の窮地を救った場面は正に適役。気性の激しい没落した良家の令嬢玲子を久我美子。「愛しているなら飛び降りて」と命ずる危ういしさと決意して正装した艶やかさはお見事。鮎太の成長に華を添えた女性たちでした。
 鮎太の心に響く人生訓を贈った大学生加島は木村功。まだ『七人の侍』54年から日の浅い当時、彼の演じる若者は爽やかさと暗さを滲ませていました。本作で「あすなろの木は檜にはなれない。でも、檜になろうと常に努力を止めないんだ。そういう人間でありたいものだ」と説く加島は、戦争の影を引きずる青春を過ごした青年でした。
 公開時は5歳ですから、小生が映画館で観たのは、二番館、三番館だったのでしょう。小学校5年の夏でした。記憶しているのは、鉄棒の大車輪を出来るようにする場面です。自分には出来ないことでも、努力していればいつか出来るようになるのだろうか…。少年の心に小さな勇気をくれたような気がしたのでした。結局のところ大車輪は、碌な努力もせずにダメでしたが…。今回、送られて来た宣伝用写真がそのような場面でしたので、自分は人の心に訴える場面を外してはいなかったなと意を強くしたのでした。
 映画は、本も同じでしょうが、観た時期によって印象が大分変わりますし、感じ方も変わるものです。この頃は、皆早口だったのでしょうか。聞き取りにくかったです。そして、映画の内容以上に女優の美しさに見惚れている今の自分がそこにはいました。

(森山 政紀)記

『次郎物語』1987年

 原作は、下村湖人の『次郎物語』。彼の生い立ちを下敷きにした長編文学です。小生は少年時代までしか読破していませんが、元北方町教育委員長の翠誠治氏は中学時代の恩師に感化されて教職を志望したことを知りました。人生に影響を与える不朽の名作と言われる所以です。小生の関心と同様、映画化・放送化においては、生家を離れて乳母に育てられ生家における苦労話にスポットが当たるようです。映画化は島耕二監督41年、清水宏監督55年、野崎正郎監督60年の3度で、観てないようです。『路傍の石』と混同していたことが分かりました。最も印象深いのは、池田秀一主演によるNHK-TVのドラマです。その放送日だけは遊びを途中で止めて早く帰っていたものでした。祖母役は誰だったか覚えていませんが、久米明がお父さん役だったと覚えています。本作は、公開時に観ています。
 森川時久監督は、TVドラマ『若者たち』が好評で映画監督デビューを果たした方です。『きみが輝くとき』と併せ、我がベスト3です。常に社会派監督としての魅力を発揮しています。黒澤明監督の後期作品の脚本を数多く手掛けた井手雅人が、郷土の先輩・下村湖人にオマージュを捧げた脚本と言えます。『モルダウ』を生かして壮大な主題歌にしたのはさだまさし。皆「いい仕事してますねぇ~」。
 小生にとっての本作の記憶は、まず生家の大きな屋根です。人間の一生よりもずっと長く世の中を見てきた威厳を感じます。次に、四季折々の田園風景です。水車をこぐ人が出てくるのは自分の知らない田園風景の美しさでした。原作者の故郷・佐賀県にこだわった製作陣が、失われた田園風景の美しさをきちんと残そうと努めた成果だったからと、今思います。(撮影:山崎善弘)
 今回再見して最も感じたのは、次郎役の二人(伊勢将人・樋口剛嗣)の自然な演技でした。少年らしい一途さと正義感が出ていました。自分が創り上げた次郎のイメージと違うので当時は共感できませんでした。遥かな少年時代を懐かしさで追想する身になると、二人の次郎の心の中が痛いほどに伝わりました。
 敵役が憎たらしい程、映画は盛り上がるものです。今回祖母役の大塚道子は、威圧感が抜群でした。それだけに、父親役の加藤剛、母親役の高橋惠子、乳母お浜役の泉ピン子は、次郎とのからみで素敵な存在感を発揮できたのだと思います。また、母方の祖父母役の高松英郎、山岡久乃の優しさも沁みます。祖父宗太郎が次郎に父親のことを評する科白が心に残りました。「お前のお父さんな、偉か。どぎゃん人間でも可愛がんさる……心の広か人ばい。人を助けて保証人の判ば捺したから、本田の家は瓦解したごたっばってん、なあに、家なんてものはどうでもよか……人間、心が真ッすぐかどうかが大事ばい……次郎、北極星がわかるか?」次郎「学校で教わったよ」【映画パンフレットより】
 言葉にしない思いやりが、心に響きます。母親が次郎のために浴衣を縫う場面、次郎が母親のためにタオルを替えたり、体をさすったりする場面、庭が見えるように鏡の向きを変える場面。親子の悲しいほどに美しい場面が、次々と静かに流れたのでした。

(森山 政紀)記

『風の又三郎』1989年

 原作は、我が人生の師・宮澤賢治の作品。『農民芸術概論』の熱い心意気に感化され教師の道を選んだ身には、『風の又三郎』の子供達には親しみを感じます。未だ小生は観ていないのですが、島耕二監督の手で『風の又三郎』40年が映画化されているそうです。「キネマ旬報」ベストテン第3位を獲得していることからも佳い映画だったに違いありません。原作通りの着物姿の男の子がモノクロ世界で活躍したのでしょう。是非観てみたい映画の一つです。
 伊藤俊也監督は、その出合いが『誘拐報道』82年なので、東映の社会派監督の印象でした。本作のようなファンタジーは異色作かなと思い作品歴を調べたら、『ルパン3世・くたばれノストラダムス』95年を脚色・総監督する等、守備範囲の広い監督でした。小生が観た伊藤俊也映画ベスト3は、『誘拐報道』と『白蛇抄』83年、『プライド・運命の瞬間(とき)』98年です。脚本家の才は、本作でも筒井ともみとの共同脚本として生かされています。本作は公開時に観ていますが、宮澤賢治ファンの新感覚で創られた「平成版・風の又三郎」の趣でした。
 小生にとって本作の記憶は、空撮がすごかったことと、風の又三郎が現代的過ぎたことです。今回見直して観て、やはり空撮の素晴らしさに驚かされました。ドローンなどの無い時代に、強風が吹き渡るように急速な移動をするキャメラは、痛快であると共に、一気に舞台に連れて行ってくれました。(撮影:高間賢治)
 主人公は、高田三郎=風の又三郎(小林悠)ではなく、同じクラスの女の子・かりん(早勢美里)です。原作なら一郎(志賀淳二)や喜助(天笠利幸)、悦治(宇田川大)等、男の子が主人公になるのでしょうが……。かりんは、父親が亡くなってから、経済的に豊かな父親の実家に身を寄せています。母親(檀ふみ)が病弱なために、肩身の狭い境遇で里外れに二人で暮らしています。母親思いのかりんは、二人の生活を守るために必死の努力を惜しまない健気な子です。男の子達に「消毒臭い」と、いじめられても屈しません。しかし、転校して来た高田三郎は、「それはオキシドールの匂いだから…」と、聡明な対応をするのです。宮澤賢治の生き様に似た三郎の父親(草刈正雄)と一緒に、かりんを科学的幻想の世界に誘ってくれるのでした。かりんの耳の聴こえも重要なエピソードです。
 宮澤賢治ワールドと言えば、夜汽車が空に舞い上がり『銀河鉄道の夜』を彷彿させてくれたのをはじめ、至る所に散りばめられていました。使いの男(岸部一徳)が直接姿を表すのではなく影だけ見えるのは、幻灯絵の世界です。猫に追いかけられる夢にうなされるのは、『注文の多い料理店』の世界です。子供達が踊る祭りの姿は、『鹿踊りのはじまり』の世界です。
 放牧の馬を解き放つ場面の爽快さと、それに続く木の上に佇む又三郎を捉えた場面の危うさ。サブタイトル「風のマント」が翻ります。病室の母親に又三郎の歌を届ける場面の儚さ。初恋の終わりです。味わい深い映画であることを、今回思い知らされました。

(森山 政紀)記

『少年時代』1990年

 原作は、富山県出身の二人組漫画家・藤子不二雄のうち、我孫子素雄【氷見市出身、後の藤子不二雄Ⓐ】が柏原兵三の自伝的小説『長い道』に着想を得た漫画『少年時代』です。学童疎開の体験が描かれておりますが、安孫子自身も44年9月県内の高岡市立定塚国民学校に転校し、藤本弘と運命的な出会いをしています。映画化の夢を叶えるために、安孫子自身がプロデューサーとして駆け回り、監督も篠田正浩監督を指名したそうです。
 篠田正浩監督は、岐阜県岐阜市出身で、早稲田大学時代はその脚力を中村清監督に見込まれ箱根駅伝2区を走った経歴を持っています。松竹入社後は大島渚・吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれ、寺山修司脚本を多く映画化しています。その後、女優・岩下志麻さんと再婚されたことでも知られます。本作は、第14回日本アカデミー賞作品賞・監督賞はじめ、多くの賞を得ています。小生が観た中での篠田監督作品ベスト3は、本作と『槍の権三』86年、最終作品となった『スパイ・ゾルゲ』03年です。世の評価が高い『心中天網島』69年、『はなれ瞽女おりん』77年、『写楽』95年は観ていません。
 物語は、1944年夏から終戦の夏までの1年間、東京から学童疎開した風間進二と地元のガキ大将・大原武とのエピソードを軸に展開されます。原作漫画の人物設定を巧く映画的に処理したのは、名脚本家・山田太一。
 主人公・風間進二を演じたのは藤田哲也。都会生まれの洗練された利発な子だが、非力で状況を見るに聡い面を感じさせます。そうしなければ肩身が狭くなるのは子供社会の常です。一方の武は、貧しい家を手伝いながら級長を務めるガキ大将。喧嘩相手には手加減しない気性の激しさで皆に恐れられています。演じたのは堀岡裕二。彼の風貌が現役時代の横綱・双葉山に似ていると思ったものです。
 子供社会にも権力闘争があることを、本作は切実感をもって迫ります。自分はどの子のタイプだろうと、考えた人も多いはず。小生は、進二タイプだったかな?遠い日の自分を重ねた人が「懐かしさ」を感じる仕組みになっています。
 疎遠になっていた二人ですが、心のどこかで通じ合う進二と武。進二が東京に帰ることになって、別れの時がやって来ました。進二の乗った汽車を武が追いかけるラストシーン。そこにかぶさって流れるのは井上陽水歌うところの主題歌。かけがえのない大切な人と時間を失ってしまうようで、自然に涙が出てきてしまう感動の場面です。観終わった人の独り言や感想からもそのことは分かります。
 声高に「戦争反対」を叫ばないけれど、戦争の状況を巧く取り込んで、観客に考えさせる時間を与えてくれます。富山の空襲も、戦地からの一報に狂喜する若い娘(仙道敦子)の姿も悲しい歴史的事実です。見送りの際に軍歌しか知らない子供等を煽る叔父(河原崎長一郎)、戦後一新した世相に迎合する駅長(大滝秀治)、思うままを口に出したら殴られる先生(津村鷹志)の描写。そこに映画制作者の皮肉が込められていました。

(森山 政紀)記

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