1957年 日活
カラー/シネマスコープ
モノラル/100分
実兄・石原慎太郎の小説を映画化した『太陽の季節』(1956、古川卓巳監督)でデビューした石原裕次郎は、中平康の『狂った果実』(1956)や田坂具隆の『乳母車』(1956)など、新鋭、ベテラン監督の話題作に出演し、着実にスターの道を歩み始めた。港町を舞台にした『俺は待ってるぜ』(1957、蔵原惟繕監督)では、「ここではないどこか」を求める孤独な青年を、甘い感傷を交えて演じ、自らのイメージをスクリーン上に描き出した。また同名の主題歌もヒットさせ、歌う映画スターとしての出発とした。本作はその裕次郎のイメージを決定的にした記念碑的な作品である。1958年の正月映画として公開され、総配収3億5,600万円(当時の平均入場料62円)を超える大ヒットとなり、1954年に製作を再開した日活にとっても、その後を決定づけた作品である。監督の井上梅次は新東宝からの移籍組だが、裕次郎が指を負傷してドラムを叩くことができず、とっさにマイクを握って歌い始めるというツボを押さえた演出で観客を楽しませ、この一代の大スターの誕生を導き出した。